Definitely Maybe

さぁ、始まっちゃいましたよ年イチのInventory(棚卸し)。そんなことはねぇ、どーでもいいんですよ(ホントどーでもいい)。俺の店は明日なのに既にスキャナーの取り扱いはセミロープー。俺の場合、こんな時しか他の基地には行かないから皆さん初めまして。同じ様な作業をしながら、俺の美しい標準語によく訊かれるのが沖縄の方ですか?いいえ、違います。で、敢えて俺の出身地を言わないという。彼、彼女達はそこから大体???その後の会話が入ってこないらしく、で出身はどこなんですか?神奈川です。神奈川?あっ、東京の?いやいや、東京ではなく神奈川です。その後、俺に対する扱いが一変(一遍上人ではない)するという。俺的にあくまでヘルプで他店入りさせて頂いてるのに彼、彼女達の興味は何で神奈川の人が沖縄に?それに関して俺的にはどーでもいいので、どんな質問にも俺が答えたいこと以外テキトーかほぼどスルー。沖縄に移住して10年、俺は元々蛾が強いので誰に何言われようが、まーどうでもいい。東京でも何処でも、執拗に絡まれた時のみ言葉では言い勝ってきた。これを自覚させられたのは小学5〜6年時の担任、女版金八先生みたいな熱血K石先生。当時、やりたい放題言いたい放題だった俺は何時しかクラス中、学年中からフルシカト。女子からも少年野球ティームの同学年メンバーからも。登下校も一人、休み時間も一人を2ヶ月。1ヶ月を過ぎた(金八を例に出したからといって、かおるではない)頃、俺が全員に謝罪するのを前提に学級会開催の話をもちかけてきたK石先生。ある日突然シカトする奴らに謝る気は一切ないし、卒業するまで俺はこのままで構わないと学級会の話を見事に突っぱねるという。その数週間後、K石先生は俺の母T子に直電。もう限界です、だって。毎日学校にも通ってたし、至って普通だった俺がそんなことになっていたとはつゆ知らずの母T子。その事態に一番驚いてたのはK石先生だけどね。結局、双方歩み寄りみたいな感じで午前中はフル学級会。学級委員が黒板(バンコクを意味するものではない)に書くわけよ、俺にされた事や言われた事。ウケたのが、俺の弟に石を投げた兄弟を帰り道ダブルでシバいた時に筆箱を壊されたっていう事案?知らねーよそんなの。あれは笑いを堪えるのに大変だったし、それを黒板に板書する学級委員の後ろ姿、今でも鮮明に覚えてる。あれ?K石先生だった、K石先生。今思えば、彼女から教わったことはひとつだけ。何でもかんでも思ったことを言える人間ばかりではない。時には黙って寄り添い、話を聞ける人間になりなさい。立場が弱い人の味方になってあなたが彼、彼女達をサポートするのよ。当時から、世の中を生暖かい目で見てた11歳の俺としては彼女の言うこと全てが半信半疑。2ヶ月もの間、俺のことを放置しておきながら、女版金八語録の雨あられに正直呆れてたかな。幼馴染みで友達だと思ってた奴らもフルシカトだから、人はどう変貌するか分からない。堀江モンが言ってたね、小中高大生の頃からの友達が全てぢゃない、友人は変わっていくもの。いい歳こいてるのに、何らかのストレスを感じる友人なら解消した方がいいとか。俺の友人達にも色々な人生がある。俺は誰も見捨てることはしないけど、結果として見捨てられたってのはあるからね。おっと、1,300字超えしてみた👍

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Damonとは仲直りしたみたいね